newdubhall is a sound label since 2017. experimental dub music from the far east.

talking place BS0インタビュー:〈前編〉 ─ ローカルを結ぶ、現場主義なベース・ミュージック・コミニティ ─

talking place#05
with BS0

L to R | Osam Green Giant , Dx , 1TA , E-JIMA

BS0

ブリストルの音とスピリッツを都内に表出させるパーティ & コレクティブ。BS0はBristolの存在しない郵便番号。

同名のパーティを主催するコレクティヴ〈BS0〉。この“どこにもない”ブリストル市内の郵便コード(実際のコードは1からスタートするため0は存在しない)は、その集団のバックボーンの頭文字でもある。レーベルRiddim Chango Records主宰の一人であり、プロダクション・ユニット、Bim One Productionの1TA、老舗のジャングル・パーティ〈Soi〉から、DJのDxとOsam Green Giant、そしてブリストルをひとつの起点にしつつも、ベース・ミュージック(以外も!)のレコードを、彼らのようなDJ、そしてリスナーに長年にわたって届け続けている下北沢のレコードショップ、Disc Shop ZeroのE-JIMAの4人がこのコレクティヴには名前を連ねる。同名のパーティは、これまでブリストルから産地直送とも言うべきタイミングでフレッシュなダブ・サウンドやベース・ミュージックをこの国に届けることに成功している。

これまで5回――2015年にスタートして、4年の間に5回ほどしか、同名のパーティは行われていないが、それでもその存在は東京のシーンにインパクトを残していると言えるだろう。2015年の第1回はカーン&ニーク、飛んで2016年の第3回はアイシャン・サウンドとライダー・シャフィーク、彼らは現在のブリストルで最も注目されている集団、ヤング・エコーを構成するアーティストたちでもある。そして2016年第2回のゲストは、現在のベース・ミュージックと、長々と続くUKニュールーツ・ダブのサウンドをアップデートさせ結びつけたDJストライダとディジステップによるダブカズム、そして最前線で活躍するアーティストであり、ブリストル・サウンドの主柱でもあるロブ・スミスを招いている。 第4回は1990年代のジャングル・シーンを世界的なムーヴメントへと押し上げた、ロニ・サイズ=レプラゼント・クルーに名を連ねるDJダイだが、そのフレッシュな活動たる〈Gutterfunk〉を主軸に加えて招聘している。そしてヘッドハンター名義でダブステップの名門〈テンパ〉でリリースするアントニー・ウィリアムスを、シカゴ・ジュークとUKベースのキメラ「Footcrab」でジャンルを超えたヒットで話題なったアディソン・グルーヴ名義で招聘している。こうしたラインナップをみるだけでも、その先見性もさることながら、DJダイやロブ・スミスにしても単なる「レジェンド」枠ではなく、ヤング・エコーのようないま最もアップデーテッドなポッセと同じように刺激的な活動をしているアーティストとして組み込んでいることがよくわかるだろう。こうしたパーティとしてのラインナップに加えて、eastaudioのサウンドシステムを自らスタックし、最も良き環境で彼らのサウンドを鳴らし、アナログのダブ・プレートをわざわざカッティングして販売するなどなど、ベース・ミュージック・カルチャーへのリスペクトをひとつ核にしたパーティ・メイクがにくらしいほど筋が通っているのだ。こうした点としてのパーティ、さらにはこの国の各地に彼らが張り巡らせたベース・ミュージック・アディクトたちのつながりは、いつしかネットワークとなり、ツアーという形で〈BS0〉の感覚を共有していっていると言えるだろう。

2018年は〈BS0〉そのものは開催されなかったものの、平日、〈コンタクト〉で彼らが注目するDJが出演する〈BS0xtra〉や、ネット・ラジオという媒体で同じくアーティストを紹介する〈BS0radio〉の放送がコンスタントに行なわれている。こうした活動からは、彼らが単なるパーティ・オーガナイザーではなく、音楽とそれを取り巻くカルチャーの醸成を促すメディアとしての役割を持った集団でもあり、その根源には、ネット・ラジオの前の聴衆であれ、そこに集まる人々の、音楽とカルチャーを介したコミニティを築こうとしている、そんな感覚がにじみ出ていると言えるのではないだろうか。

インタビュアー:河村祐介 / 写真:西村満

BS0

まずはこの4人の集団というか、この座組になったのはなんなんでしょうか?

E-JIMA遡ると2013年の11月のメールにまでたどり着くんですけど。それはユウサクくん(DJ、アーティスト、国内外のアーティストのブッキング / マネージメント、ライターなどを行う。一時期拠点をブリストルに移し、特にリヴィティ・サウンド周辺のアーティストと親交も深い)が当時ブリストルに住んでいて。彼は現地のエージェントを手伝っていたんですよ。そこで「カーン&ニークが日本に行きたがっている or 日本に送り込みたい」というような話があったんですね。漠然と倉島さん(Dx)が〈Mudule〉でやっていた〈Soi〉に話がいったのかな。そんな感じでカーン&ニークに関してみんな興味があるなら、一度集まってなにができるのか話してみようと。でもそのときのカーン&ニークのスケジュールは延び延びになってしまって、ちゃんと本腰を入れてパーティを成立させるために話し合いをやろうとなったのは2014年の終わりくらい。

1TAたしかそれとは別に「カーン&ニーク、ゴーゴン・サウンドをやりたい」って僕は言ってたんですよね。現場で会ったり、飯島さんとお店でカーン&ニーク呼びたいって話はしてたんですよ。それから手伝うというような話になりましたね。カーン&ニークはやっぱり「Find Jah Way」がひとつきっかけかな。

E-JIMAなかなかはじめは条件が合わなくて、でも急にその頃に動きだしてという感じですね。「いまあるこのイベントだったら合うよね」という感じもなかったのもあって。

1TAそう、自分たちだったらうまくやれるんじゃないかなと思ってたり。

E-JIMAだから自分たちでやっちゃうおうという。

1TA青山〈ミックス〉とかそういうつながりは飯島さんとかもちろんあったんですけど、交流がバラバラにそれぞれはあったと思うんですけど、この4人のつながりというのはそれ以前にはなくて。当初はこの4人に加えて、ユウサクくんがいるという感じかな。

Osam Green Giant(以下 Osam)ユウサクくんは、カーン&ニークもあったけど最初は「ダブカズムを呼びたい」というのもひとつあったよね。

Dxそれは10年ぐらい前からあったと思う。「〈Soi〉で呼ばないっすか?」って言われてて。ユウサクがブリストルで、そういうマネージメント的な仕事をやり出すようになって、ブリストルと東京のアーティストとのそういうつながりが出てきたんだよね。リヴィティとか。でも、東京の窓口のパーティとして、そのアーティストのサウンド的なところで〈Soi〉ではないかなというのも僕の中であって。

ちょっとシーン的なところに目を移すと、2000年代にダブステップが出てきて、その世代とニュールーツ系のサウンドシステム・カルチャーが絡んだサウンド、それこそダブカズムとかゴーゴン・サウンドみたいなものがわりと目立ってくるのが2010年に入ってというフェイズなのかなと思うんですけど。レゲエ由来のカルチャーと、レイヴ・カルチャー由来のジャングルやダブステップがあってという、こういう人たちが集まるというのは世界的な目線でもわりと必然というかリンクなのかなと。もちろん、UKのダンス・カルチャーには明確にレゲエの遺伝子は入ってますが。

E-JIMAその感覚で言えば僕のなかでは〈eleven〉でやってた〈SDM〉かな。あの感じが近いかな、レゲエ、ダンスホールもありつつ、ステッパーもあって、ジャングルもかかっているっていう。ダブステップも混ざって、誰がどの音を出していたというよりも、あそこで流れていた音の総体の感じというのがいまにつながる部分にあるかなと思ってます。

1TAそもそも僕が倉島さんと仲良くなったのが〈SDM〉ですよね。

Dxそういうベース・サウンドがユナイテッドする土壌みたいなのを〈SDM〉が作ってくれたのはあったかなと。みんなでやろうぜ的な。

E-JIMAあの動きもいままであったパーティの垣根みたいなものは超えてたもんね。

そこに影響を受けながら2010年代の価値観みたいなものとブリストルというテーマ、これを新しいパーティを作って提示しようみたいな感覚なんじゃないかなと。

Dxもうひとつ言えば〈SDM〉と、〈アウトルック・フェスティヴァル〉がはじまってグローバル的にもベース・ミュージックという言葉ができたあたりという感じがあったというのも大きいんじゃないかな。日本でも同系列のパーティがはじまって。

E-JIMA実際に出ている音は細分化されてジュークとかダブステップとかいろいろあるんだけど、音のくくりとしては大きくなったという瞬間ですよね。ディストリビューターとかレコード屋さんでも「ベース・ミュージック」という大きなくくりで言うというのがあったと思う。それまではベース・ミュージックなんて呼ばなかったしね。若干重なりあってた部分、人によってはそれをサウンドシステム・カルチャーと呼んでたかもしれないけど、僕はわりとそこにジャンルの垣根を飛び越えるような自由さを感じたくくりでおもしろいなと。

そういった現場のバックグラウンドを背景につながっていった4人ですが、基本的にこの4人の合議制というのがスタイルなんですか?

1TA本当にここ(下北沢の名店!居酒屋〈宿場〉)にきて、飲む延長じゃないけど、アイディアを出し合ってという感じで、あとはもっと普通に飯島さんのお店にお客として行って話してというのも多いですよね。

E-JIMAそう、雑談から生まれて具体的に膨らむアイディアもよくあるし。

でもZEROという場所があるというのは、コミニティというかカルチャーが生まれるというのに大きいのかなと。サロンというか。

1TAそこは大きいと思う。

お店だったら、この4人以外でもお客さんとしてまた他の人が入ってくるというのも実際あるでしょうし、あとはいろんな情報交換の場所にもなるでしょうし。

Dxそうそう「あいつ別れたらしいよ」みたいな、おばちゃんの井戸端会議みたいなことも含めてね(笑)。

1TAある意味でベース・ミュージックで広がったのは良いんだけど、逆に飽和してしまった部分もあったと思うんだけど、この4人で考えるもっとギュッと凝縮したものがイベントとして提示したかったんですよね。

E-JIMAこの組み合わせってわかる人はわかるけど、よく知らない人がみたら「え? なんで」というぐらいの組み合わせの可能性があって。〈BS0〉って、そもそも誰がやってるかわからないぐらいの感じでやろうよって。すぐにばれちゃって(笑)。

1TAそもそもそうでしたね。自分たちの名前を売るためにやっているわけじゃないというか。

まずはストイックに音楽ありきという感じはしますよね、ホストとしていかに迎えた人を背景も含めて良く紹介できるかというか。そこがメディアっぽいというかなんというか。まず音ありきで言うと、eastaudioのサウンドシステムの存在は大きいですよね?

1TAサウンドシステム・カルチャーは〈BS0〉の根底にあって。まずなによりひとりじゃできないんですね。スピーカーをみんなで運んで、みんなで解体して搬出して。チームワークが大事なカルチャーなんで、そういう部分はおおきいと思う。

E-JIMAあとは〈スターラウンジ〉の場所としての立地と箱の感じの良さかな。外に出てしゃべってもいいとか、僕らがやりたい規模感も含めて東京だと理想かなと。毎月あるとか、そういうものではなくて、イベント感というか、DIY的に作っている感じをやりたかったんですよね。

1TAあそこはクラブじゃなくて、ライブハウスなんで自分たちで話題を作っていかないとそもそもお客さんがこないんですよ。世の中的に知られていないアーティストを紹介して、ジェネレーションの交流の場にしたいというのもあって。ベース・ミュージックをやっているおもしろい若いDJとかいるんだけどそういうアーティストとかのサポートもしたいし、自分たちが出過ぎないというのは大事だなと。

Dxそれはタイムテーブルにも現れているよね。ここのメンツは頭とケツでやるとか。

E-JIMA「自分たちがやってやってるんだぞ」的なことには間違ってもなりたくないというのはあると思う。

ニュー・フェイズ

最初はやはり、まだ見ぬブリストルの新鋭をイベントを行なって紹介するというのがひとつあったと思うんですけど、もちろんそこは大筋としてあると思うんですが、ラジオやコンタクトのイベントとか、もう少しローカルな感じでここ2年ぐらいでフェイズがまた変わったのかなと。

1TAもうね、それは成り行き(笑)。あったらいいなをかたちにする小林製薬な集団ですよ(笑)。

Dxそのうちベタなイベント名になったりね、「なんとかぬ~る」的な、「べ〜すあびーる」とか(笑)。

だははは。〈BS0xtra〉とかも含めて、こういうところで人選するという感じですか。

E-JIMA〈BS0xtra〉に関してはオサムくんにわりと投げちゃってるところはあるかな。言い出しっぺとしては、ある程度レギュラーでダブステップを聴けるイベントが欲しいということはあって。オサムくんと他のところでやろうと思ってたんだけど、流れがあって〈コンタクト〉からお話をいただいて、オサムくんが主体になってイベントをしきってる。

オサムさんのインスタとか見てると、本当にいろんな現場に行っているので、おそらくその現場の感覚でピックアップしてそうだなと思うんですが。

Osamあとは、レギュラーで入っているメンツはみんなでリクエストというのがもちろんあって。いま飯島さんからダブステップというワードはあったけど、実際〈BS0xtra〉はそれだけでもなくていろいろ持ち味があるからね。はじめた当初は、国内のアーティスト以外でも「このへんで日本にいるんだけど」という逆オファー的にきていたのを一緒にやったりとか。

1TA基本的に僕と倉島さんは〈BS0xtra〉ではフロアダンサーですよね。

Dxそう、飲みに行ってるだけ…… そろそろDJとしてお呼びがかかるかなって待ってるんだけど(笑)。でも〈コンタクト〉の〈BS0xtra〉っていう場所がすごい好きなんですよね。サロン感というか、交わる感じがすごく良くて。

Osamもともと〈コンタクト〉で〈BS0xtra〉をやるにあたっては、ロブ(スミス)さんをやりたいなというところで話が広がって。

なるほど、〈BS0xtra〉はひとつオサムさんの役割がありつつ、〈BS0〉全体としては、それぞれの役割分担はあるんですか? 例えばウェブ・プロモーション的な動画とかイメージの作成とかは飯島さんがやるとか。

E-JIMAそうですね。あとはブログとか“オタク”部門は僕ですね。

1TAわりと自分は海外のエージェントと交渉したり経理的な部分を詰めたり。あとはみんな忙しいのでスケジューリングとかやってお尻たたいてるかも。倉島さんは、こういう方なんである意味でいてくれるだけでいい。

いや、本当海外だったらご当地のレジェンド級のジャングルDJですよ。

E-JIMA精神的支柱ですよ。

1TAあとオサムさんはなにも言わずにメモを取ってくれてて。

Dx飲み会の次の日に「あ、メモがあってよかった!」ってなるよね。

E-JIMAあとはさっきも出たけど、オサムくんが細かいクラブのイベントとかも回ってくれて宣伝してくれてるんですよね。

ラジオはどうやってはじめたんですか? 単純にイベントの告知というのはあると思いますけど。

1TAいやあれは単純に倉島さんがラジオやりたいって言い出しただけだよ。

Dxうん、そういう流れだね。

E-JIMAでもこういう場所でふと生まれたアイディアですけど、そういうものをやろうというタイミングがちょうど合ったという感じかな。僕もラジオやりたいなって言ってたんですよね。新譜の紹介しながらしゃべるようなやつをやりたいなと。

サウンドクラウドにさらっとミックスをあげるのとまた違った伝わりやすさがありますよね。

E-JIMA生感っていうのはいいなと。だから曜日と時間はこだわったよね。みんな家に帰って、寝る直前だと何時くらいかなで、22時半になって。

Osam一回お風呂入ってね、気持ちよくなって……寝ちゃうかもしれない(笑)。

Dx飲んじゃったりしたらね(笑)。